海辺へ行く道 (2025):映画短評
ライター3人の平均評価: 4
目指すは、映画ならではの“自由”と“衝撃”の心地よさ!
「アート」とは特別なものではない。元々は、人間の手で生み出されるもの全般を意味していた。そういう根源に立ち返っての横浜聡子監督の新作は、感動ではなく“感電”系のオリジナルストーリーだった初長編『ジャーマン+雨』(06)の大胆さを思わせつつ、今回は原作に沿いながら「優しさ」を前景化させてゆく。
アーティスト移住支援を謳う、海辺の街。姿を見せぬ謎のゲージュツ家の言葉――「わかるっていうのはさ、自分の認識を変えずに『今のままでいいやあ』って満足しちゃうこと」(松山ケンイチの声)が芯を食っている。わからなくてもいいのだ。ここには意味に回収されない、映画ならではの“自由”と“衝撃”の心地よさがある。
ものすごく豊かな“純映画”の時間が幸福に続く
小豆島に仮構された“汐鳴市”は現代の桃源郷なのか。三好銀の原作漫画をもとに、可笑しみ溢れる点景が連なっていく。この場所には様々なゲストが訪れ、固定的な共同体の強制力が発生しない(する前に去る)。流動的な共生の在り方が心地良い。横浜聡子監督は初期のパンク的破壊衝動から、瀬戸内の夏のもと、ゆるやかにシステムを解体する鷹揚さに向かったのか。故郷・青森で撮ったウェルメイドな『いとみち』とは表裏一体の関係にも見える。
アートの根源を問いかける視座もあるが、清濁併せ呑む大らかさが肝。ピュアなのか胡散臭いのか判らぬ大人が次々やってくる汐鳴市で、少年・奏介(原田琥之佑)はいまも絵を描き続けている気がする。
この世界は空気がゆるく、呼吸がしやすい
色がいい。青と赤と黄色。特に明るい青。正方形に近いスタンダードサイズの画面。そこに溢れるたっぷりの光。その光と共存する明るく鮮やかな色が、現実世界の色とは別もので、そこが現実とは別の場所であることを表明し続ける。その世界はおだやかで空気がゆるく、呼吸がしやすい。
中学生の少年の夏休み。少年たちは、描きたいものを描き、作りたいものを作る。その周囲で、何をしているのかわからない大人たちが、なんだか気楽そうに暮らしている。ちょっと不思議な出来事も起きる。初めての恋をする少年もいる。夏休みにどこかに旅行に行くように、この世界を訪ねてみたい。





















