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池松壮亮、コロナ禍で危機感 俳優として何ができるのか

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池松壮亮
池松壮亮 - 写真:上野裕二

 昨年、映画『宮本から君へ』でキネマ旬報ベスト・テンや日刊スポーツ映画大賞など数々の映画賞で主演男優賞に輝き、日本映画界の第一線で活躍し続ける池松壮亮。静かで穏やかな佇まいの中にいつも映画への情熱を燃やしている彼が、コロナ禍で自粛生活を送る中、「映画と俳優のこれから」について思いを巡らせたと語る。「もっと、同時代の大きな渦の中にある物語を見つけていかないといけない」という池松が、映画界に抱いている危機感、見つめる未来とは……。

【動画】『僕は猟師になった』予告編

■自粛期間に感じた映画館への愛着

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 自粛期間の過ごし方について、池松は「家でたくさんの映画を観た」と述懐。「配信も観ますし、いろいろなものを観漁っていました。誰もがやりきれない思いをしていた中で、いつも以上に物語を求める人も多かったのではないでしょうか」とあらゆる映画に触れた。

 それと同時に「どうしても自宅で観ていると、喉が乾いて飲み物を取りに行ったり、電話がかかってきたりと途中で邪魔が入る。暗闇の中で物語に没入できる、やっぱり映画館はいいですね」と緊急事態宣言下で休館に追い込まれていた映画館への愛着が身に染みたそう。だからこそ、緊急事態宣言が解除されてからはユーロスペース、新文芸坐、ヒューマントラストシネマ、新宿武蔵野館、シネマート、シアター・イメージフォーラム、Bunkamuraル・シネマ、角川シネマ、TOHOシネマズなどの映画館に足を運んだという。

■未曾有の自体に直面し、俳優として何をすべきか

 一方で「僕はたまたま俳優という職業に就いていて、その期間は自粛をしているだけでしたが、いろいろな状況に置かれている方がいて、そんな中で『働けなくてつまらない』なんてとてもじゃ無いけど言えないと思った」と心苦しさも抱えながら「これからの映画について考え直す、いい機会にもなった」と振り返る。

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 新型コロナウイルスの感染拡大で、世界は未曾有の事態に直面。2011年、東日本大震災の発生時にも「呆然とするしかなかった。なんて無力なんだろう」と葛藤したという池松。しかし震災当時、そしてコロナ禍においても「あらゆる問題意識がありながらも、今後も俳優を続けていく、とっかかりは見えている」と自身のやるべきことを模索する。

 「毎日『コロナによる死者は何人』というニュースを聞かされても、それは数字であり情報であって姿が見えない。今、本当に情報が氾濫していて、あらゆる物事の実存が見えにくく、容易く忘れ去られるようになっている。そういった不安を感じている世の中だと思います。俳優としてやるべきことは、誰かの声なき声や、語られていない心に寄り添い、体温を与えて、自分の体を使って表現していくことではないか。俳優である以上、そういった方法でこの時代の“実存危機”に立ち向かっていくしかない」

■コロナ禍で一人一人が責任を持つ重要性

池松壮亮

 近年の主演作を考えても、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』では、現代の東京に住む一人の青年の孤独と希望をスクリーンに刻み込み、新井英樹の同名漫画を映画化した『宮本から君へ』では、カッコ悪いほどに不器用ながらも、血と汗まみれになって突き進む男・宮本の熱き生きざまを体現。「“実存危機”に立ち向かっていく」という言葉の通り、池松は今を生きる人々の心に届く映画を世に送り出してきた。それでも未曾有の事態において映画界も苦境に立たされる中、より一層、日本映画の未来について熟考したそうで、「『日本映画は文化ではないなのか』という議論もありますが、『日本映画は文化だ』と誰にとっても言えるものにしてこなかったのは自分達自身なのではないかという負い目も感じています。目先の数字にばかり囚われて、物作りや人々への影響、文化を育てていくという意識があった結果であれば納得出来ますが、ここ数十年そうであったとはとても言えません。これからもっと、同時代の大きな渦の中にある物語を見つけて、きちんと提供していかないといけないと思っている」と覚悟を語る。

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 2018年にNHKで放送され、再放送希望が異例の1141件も届く反響を見せた「ノーナレ けもの道 京都いのちの森」に、300日間の追加取材を行った新生映画版『僕は猟師になった』(8月22日公開)では、ナレーションを担当。京都の猟師・千松信也の姿を追ったドキュメンタリーだ。イノシシやシカをわなでとらえ、ナイフでとどめをさし、調理して家族で食す。彼の“命をいただく”という営みを見て、池松は「千松さんは、自分や家族が食べる分だけの肉を自分の手で奪って、さばいて、骨までいただけるところは、すべていただく。命と向き合い、罪悪感とも向き合い、最後まで責任をとって命を続けています」と受けた感銘を語り、「映画も、そうやって全体を見つめることが必要だと思っている」と続ける。

 「今日映画って、作ることは簡単で。提供することはお金さえ集まればたやすくできる。でも提供して終わりというのは、何か違うような気がしています。映画を観るお金や時間を奪っているということに関して、また人々に影響を与えているということに関して、きちんと責任を取っていかないと、映画の価値は下がる一方です。映画が社会に与える影響というのは目には見えませんが、その恐るべき力は歴史が証明しています。今、社会では責任の分散があちこちで見受けられます。コロナについてもどれだけ我が事として考えられるかが重要。たとえ答えが出ないとしても、自分にも責任があると感じていかないと、何も解決しないどころか、状況は目の前で静かに悪化してゆく一方です。時代に目を向け、一層こだわりを持って、頭を抱えて映画に向き合っていきたいと、改めて感じています」(取材・文:成田おり枝)

猟師・千松信也に密着『僕は猟師になった』予告編 » 動画の詳細
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