逆火 (2025):映画短評
ライター2人の平均評価: 4
アタマをよぎる『由宇子の天秤』の存在
『ミッドナイトスワン』での成功以降、どこを目指しているのか不明すぎる内田英治監督作。そんななか、久々に作家性や本気度を感じさせられ、やりたいことも十分に分かるのだが、メタ構造として描かれるテーマ“虚構と現実”など、どうしても『由宇子の天秤』を想起してしまう。また、あえて観客の感情を逆なでしようとする演出もあり、どこか吉田恵輔監督作のジェネリックにも見えてしまう。しがない助監督役の北村有起哉と父親殺害を疑われるヒロインの円井わんの芝居は、文句なしに巧いが、そのキャラクターはときにリアリティに欠け、あまりにも陳腐なラストに興醒めさせられる。
社会が起こしているバックファイヤーという名の機能不全
なんとも重い一撃。現代社会は、こういうものなのかもしれないと思わせるに十分だ。
映画製作のジレンマに、フェイクニュースや貧困、DVなどの問題が絡みつく。どの角度から見ても過ちはある。主人公の助監督にしても、正しいことをしているようでしていないのがミソ。モラルが失われていく世界では、正しいことも過ちもない。それを俯瞰させたことに凄みを覚えた。
本作の肝となるふたりの少女の対比も面白い。愛を得た者は金を求め、金を得た者は愛を求める。その前にあっては、夢を追うことの意義もかすんでしまう。そもそも彼女たちは夢を持てないのだから。そう、現代は明らかに“逆火”の状態にある。




















