ジェイ・ケリー (2025):映画短評
ライター3人の平均評価: 3.7
映画スターについて私たちが知らない二、三の事柄
列車のトイレの鏡の前でG・クルーニー扮するジェイ・ケリーが、G・クーパー、C・グラント、C・ゲイブル、R・デ・ニーロと自らの名を独り呟く場面が印象的だ。ハリウッドを体現する偉大なスター達と並んで、彼は輝きの背後にある個的な闇に潜む問いを静かに提示する。
枠組みは俳優版『8 1/2』といった趣で、イニャリトゥのNetflix映画『バルド、偽りの記録と一握りの真実』と共通項が多いのも面白いが、主体は特定の個人というより映画産業の象徴としてのジェイ・ケリーである。演じる事で虚実皮膜を生きるスターの典型像としてクルーニーが自身を提供し、彼のキャリアやイメージをバームバック監督は映画の基盤にしている。
良くも悪くもクルーニーがハマりすぎ
ジョージ・クルーニー本人は「僕はこの主人公と全然違う」と主張するも、実際、彼はハマりまくり。寝ていてもできるのではないか。スターの裏で苦労するマネージャーやパブリシストに大きな焦点を当てるところ、ちょっと意外なアダム・サンドラーのキャスティングはそこそこ面白い。ただ、「人生において大事なことは何か」など、どんな職業に従事する人にも共通するテーマを語るというノア・バームバックの意図がちゃんと伝わるかは疑問。贅沢慣れした映画スターの「犠牲」を見せられても、一般人には共感しづらいのだ。一方でフェリーニの「8 1/2」のような芸術家の苦悩もなく、どこか中途半端になってしまった感が否めず。
俳優と役の無理なき一体感。ハリウッドトップの舞台裏もリアル
G・クルーニーがハリウッドスターを演じるので、やや自虐ネタ、あざとさを予感させる設定も、基本は誠実な演技を徹底。軽いユーモアを込めるタイミングも絶妙で、俳優と役の美しい一体感に幸せな気分に。
スタジオ撮影のあれこれを一気に観せる冒頭で、映画界の舞台裏ワールドに没入。トップスターの周りでどんな人たちが仕事をしているのかが、リアルかつ共感たっぷりに描かれ、なおかつ各エピソードが物語の芯にきっちり絡んでいるので一瞬も飽きることがない。作劇の上手さに惚れぼれする。「じつは自分が空虚」と自覚する主人公が、一般市民に刺激を受ける流れもスムーズ。
ただ後半、まだるっこしいシーンが目立っての失速は否めない。






















