KNEECAP/ニーキャップ (2024):映画短評
ライター4人の平均評価: 3.5
お決まりのパターンにはまらず、斬新でユーモラス
反抗心とユーモアたっぷり。無名の若者が頭角を表すという、音楽映画や自伝的映画によくある設定ながら、お決まりのパターンに陥らず、終始、斬新さと独自のエネルギーを保つ。そんな中、個人、文化のアイデンティティ、その葛藤というテーマを、シリアスになりすぎることなく伝えるのだ。ところどころアニメーションを加えているのも効果的。過去にこのバンドのミュージックビデオを監督し、この脚本を書き下ろしたリッチ・ペピアットは今作で長編デビューする新人。バンドメンバーも演技は初めてとリスクは大きかったが、良い方に出た。最もパワフルなのは、やはり音楽のシーン。見終わった後すぐ、彼らの音楽を探してしまうはず。
言葉は自由のための銃弾になりうる
北アイルランド出身のヒップホップトリオ、ニーキャップの過激なラップには、どんなバックボーンがあるのか? それをドラマとして提示したのが本作。
英国統治への鬱憤と警察の横暴、麻薬犯罪の横行。彼らの攻撃的な言葉の裏側には、そんなドン詰まりの現実がある。アイルランド語が2022年まで公用語として認められていなかったいらだちを含め、言葉の重さや大切さを思い知らされる。
ニーキャップの3人が自分たちの役を演じているが、役者としての仕事ぶりもみごとで、キャラがきっちり立っている。彼らの導師的なカリスマを演じたM・ファスベンダーも好助演。
一見、重めのテーマも「自演」の自由さと豪快ラップで誘引
正直、観る人によって圧倒的に乗れるか、イマいち乗り切れないか、分かれる作品かもしれない。ただ、ひとつ断言できるのは、英語ではなくアイルランド語で奏でられるラップの“突き刺さってくる”感覚に囚われること。主人公たちが母国語にこだわる理由の一つを、そこに発見できる。
KNEECAPのメンバーが自分自身を演じているのだが、演技シロウトの実直さ→超自然さへのシフトに成功し、突飛な言動にも説得力を加味。
マリファナ体験も肝になることから『トレインスポッティング』とも比較したくなるが、より泥くさい印象。政治的メッセージも強いストーリーながら、いい意味で軽快に蹴散らすノリと、ユーモアを強調のスタイルで後味◎
アイルランド語のヒップホップが過激で痛快
北アイルランドの男子3人が、日々の生活をアイルランド語でラップしたら大ウケして人気者に、という痛快ヒップホップ青春コメディ-----なのだが、実話が元ネタで、3人を演じるのも本人たち。彼らのラップが「政治的意見を表明する方法は眉間に皺を寄せて政治用語で語るだけじゃない」ということを証明したように、この映画もそれを体現する。
主人公たち同様、北アイルランド出身のリッチ・ペピアット監督が、スコットランドが舞台の『トレインスポッティング』のアイルランド版を目指したと語るのも納得。映画が、KNEECAPの音楽とシンクロし、過激なユーモアたっぷりに、派手な色彩と、軽快な速度で一気に駆け抜ける。























