ANORA アノーラ (2024):映画短評
ANORA アノーラ (2024)
ライター8人の平均評価: 4.6
「森﨑東映画」好き、「日本映画」好きこそ必見!
映画が始まるや、一見バカップルのイチャイチャ描写が続く。「もうそれ、充分では?」と感じる絶妙なタイミングでトーンが切り替わる。そして、最高な格闘シーンが到来するのだが、監督のショーン・ベイカーはこの場面のために『女囚701号/さそり』(72)の梶芽衣子を、アノーラ役のマイキー・マディソンに観せたそう。
本作は、日本映画好きこそ必見だ! 前作『レッド・ロケット』(21)は「もし森﨑東が洋画を撮ったら」と夢想させた快作だったが、今回は森﨑の『喜劇 女は男のふるさとヨ』(71)の倍賞美津子と緑魔子を足したような気骨溢れるヒロインなのだ。ラストの現実音の詩的効果――のまま幕を閉じる勇気にグッときた。
ラストシーンの余韻が今なお残る
男と女、米と露など、さまざまな二極構造のなかでも貧と富という点が印象に残る。S・ベイカー監督らしい切り口だが、本作はその先に突き抜ける。
格差社会を風刺しているというよりも、批判の対象はむしろ拝金主義。持つ者も持たざる者も、得られるものを求めて必死だ。結果として“何か”を失っていることに気づく。それが浮き彫りになるラストシーンにグッときた。
長尺だがテンポは良く、随所に盛り込まれたドタバタな展開で笑わせる。シンデレラ的な立場にしがみつこうともがくM・マディソンのバイタリティにあふれたキャラの好演も印象深く、目が離せない。ある意味、女性版『ワイルド・アット・ハート』。
雑草の意地とプライドを賭けた女の戦い
ニューヨーク下町のしがないストリッパーが、なんとロシアの大富豪=オリガルヒの御曹司に見染められてゴールイン。これでめでたしめでたしのシンデレラ・ストーリーかと思いきや、自分勝手で甘やかされた我がまま坊ちゃんに散々振り回され、下々の者たちを見下す傲慢な成金パパ&ママから即刻離婚するよう迫られる。現代資本主義社会のお伽噺はなかなかシニカルで、夢物語の続きはちょっとばかりビター。こちらは対等の人間のつもりでも、特権階級の方々も同じと限らないのは今の米国を見ての通り。遊ばれて捨てられて泣き寝入りなんかするもんか!と雑草の意地とプライドを賭けたヒロインの奮闘がアッパレ。後味もスッキリである。
いつもながら抜群のキャスティングセンス
毎回、ショーン・ベイカーのキャスティングのセンスには感心させられるばかり。安易な選択をせず、予想もしないところから実に絶妙な人を探してくるのだ。残念ながらその後の作品にはつながらないことが多かったのが事実だが、マイキー・マディソンはここからしっかりキャリアを築いていくだろう。これまでの作品に比べて上映時間が長く、初めて観た時は、途中、若干中だるみするかなとも感じたものの、2回目ではそこもアノーラのジャーニーの一部として味わうことができた。観客にその後を想像させるエンディングも彼の映画のすばらしいところ。今回はいつもよりセンチメンタルで、それがまた心に残る。その意味について話し合うのも良し。
固定された社会階層に挑むアノーラのGreatest Days
S・ベイカー監督の勝負作&大傑作。『チワワは見ていた』のジェーンを培養した様なアノーラを先頭に立て、『マイ・フェア・レディ』(ピグマリオン)型の成功物語を引っ繰り返す。LA⇒フロリダ⇒テキサスと渡って初期作と同じNYの縁(“リトル・オデッサ”ことブライトンビーチ周辺)に戻ってきた。
ピケティの言う「世襲制資本主義」の露骨な体現者であるロシア財閥2世のイヴァンが強烈に空疎。世界経済の覇者の交流は米と露の対立を超え、セレブの甘い夢を見せつつ下位99%を搾取する。時代設定は米大統領選の最中を背景にした『レッド・ロケット』の続編の如き2018年。「D・トランプ的なるもの」の完璧な戯画とも言える。
シンデレラのその後
”アンチ・シンデレラストーリー”と評されているが、これは、もしかすると”シンデレラストーリーのその後”の物語なのかもしれない。ハッピーエンドのあとに何が起こるかというありそうでなかった物語を描いていると言えるだろう。これまでも野心的な映画を作って来たショーン・ベイカーだが、今作で一段上のレベルにステップアップした感がある。アノーラを演じた新星マイキー・マディソンを中心に今年の賞レースを牽引しているが、今作をそういった評価の対象にする現代社会の反応も面白い。寡黙で優しい用心棒イゴールを演じたユーリ・ボリソフも覚えておきたい存在。
ヒロインの生きる波動が伝わってくる
つねに意欲的に動き続けるヒロインに魅了されて、目が離せない。ヒロインの体験は彼女を傷つけることも出来るが、そうはならないのは、彼女のとにかく負けない、何とでも闘う姿勢と、溢れ出る生命力が、彼女の体験を中味のあるものにするからだ。
『タンジェリン』同様、ショーン・ベイカー監督が撮る女性たちが、生き生きと鮮やかでライブ感に満ちている。どのシーンにも余計な長さがなく、映像が躍動する。それは、ヒロインがロシアの富豪の息子の刹那的な日々に同行しているからでもあるが、ヒロイン自身が同行者とは違って、常にその瞬間を充分に濃厚に生きているからだろう。彼女の生きる波動が画面から伝わってくる。
純愛と暴走のジェットコースター的快感。そして残る切なさに…
ストリップダンサーと御曹司の「純愛」がジェットコースター的な急展開へなだれ込む。そんな映画的快感に有無を言わさず浸らせる怪作にして大傑作。
前半は短いシーンがハイテンポで切り替わり、中盤ではワンシチュエーションを長回しやアップも使ってじっくり観せたりと緩急自在な演出も飽きさせない要因。出てくる人々のあまりに行き当たりばったり感が逆に愛おしくなるという、この監督の得意技が本作で魔法のように機能した。ジェンダー問題の投入もさりげなく、深い。
どんな窮地にも抵抗し、豪快な行動もかます主演M・マディソンに心を鷲掴みにされ、観ているこちら側は途中からある人物に共感し、ラストの切ない余韻を共有することに。