エディントンへようこそ (2025):映画短評
ライター3人の平均評価: 3.7
コロナの時代を物語に当てはめ、衝撃描写は持ち味全開
コロナのパンデミックが始まった頃の、マスク着用およびマスク警察、ソーシャルディスタンスを設定に取り入れ、なおかつ同時期の黒人差別に関するBLMから、今に至るネット炎上、フェイクによる陰謀論、SNS選挙などアスター監督の「時代への目配せ」が詰め込まれ、そこは感心。ただそれらのネタが“渋滞気味”という印象で賛否は分かれるだろう。
ファンが監督に求めるショッキング描写は、前作以上にたっぷり用意されており、満腹感は味わえるはず。キャスト陣では、そこまで登場は多くないし、大仰な演技をしていないものの、オースティン・バトラーが「背後で誰かの心を操ってる」無意識のカリスマ性で、この俳優の底知れぬ魅力を実感。
あの鬱屈した日々が大爆発
いよいよホラーというジャンルから離れたアリ・アスター監督作品、まだ長編4作目なんですね。今回は2020年のあの頃の鬱鬱とした日々から思いもよらない大暴走を展開させる怪作になりました。まぁ、この展開は読めないですよね。圧倒されているうちにお話が終わります。前作に続いて主演のホアキン・フェニックスは今回も安定の暴走っぷりで、物語の主軸を担ってくれています。ペドロ・パスカル、エマ・ストーンも他では見れない怪演で楽しかったですが、中でも出番は長くないもののオースティン・バトラーの胡散臭さは良かったです。
世界のありようが生々しい
舞台は2020年のコロナ期だが、描かれているのは、今、他人事ではない世界の様相だ。その自覚がないまま、情報に踊らされる人間が急速度で増加していく。もはやその情報の真偽も、その主張の妥当性も関係ない。踊らされる人間たちが暴走して「いやいやそれはないでしょ」な光景が「いやあるかもなこれ」に見えてくる。
その状況が、いつものアリ・アスター映画の超常的要素や暗喩を排除し、写実的でド直球な表現のコメディの形で描き出される。それでいて、激しくブラックな味つけと、笑いのドギツさは、いつものアリ・アスター。やはり毒家族が登場するのもこの監督流か。現在の世界の様相が、ひたすら生々しい。






















