左利きの少女 (2025):映画短評
ライター6人の平均評価: 4.3
鮮明に可視化される、ひとりの卓越した映画作家の眼差し
ツォウ・シーチン監督が長年ショーン・ベイカーと共有してきたストリートの倫理と呼吸が、台北の夜市でついに自立した形を得る。初期の『テイクアウト』以降、影の立役者だった彼女のまさに満を持しての単独監督デビューだ。iPhone撮影は『タンジェリン』を継承しつつ、眩しくも猥雑な都市の光を母娘の姿に寄り添わせる。
雑踏の色彩、家父長制の残響、少女の抵抗。『フロリダ・プロジェクト』を想起させつつ、より複雑な階層を露わにする。姉の揺らぎ、母の沈黙。物語展開はサプライズを含むもので、監督の内奥に潜む記憶の断片が路上の速度と共に現在形で編み上げられる。子役ニーナ・イエ、新星マー・シーユエンら役者陣も魅力的だ。
ネオンの街で“悪魔”と生きる、生き続ける
子ども視線をまじえたS・ベイカー脚本作品という点では『フロリダ・プロジェクト~』と同様。本作はさらに踏み込み、家族というカオスを描き切る。
左利きの少女はもちろん、その姉、母も(ついでに祖母も)“悪魔”を抱えている。貧困を乗り切るためには、ときにその力を借りたくもなるもの。そんなエピソードにスリルを宿らせつつ、家族内の違和感の正体が紐解かれるクライマックスへ。そんなストーリーテリングの巧みさに唸る。
ベイカーの創作のパートナーでもあるツォウ・シンチン監督が、自身のルーツである台湾の、メンツ重視の古い価値観をスカッと笑い飛ばしている点も頼もしい。カオスと生きるすべての方に観て欲しい。
“台湾版『フロリダ・プロジェクト』”だけじゃ終わらない!
幼稚園に入園した5歳の少女から見る、不思議なオトナ世界。全編iPhone撮影による躍動感やギラギラな色彩美で描かれるのは、夜市で麺屋を開業した母に、セクシーな檳榔売りの姉といった、強くたくましく生きる女性たちの姿。ときにクールに、ときに温かく、下ネタ含むユーモアを交えて描くこともあり、まさに“台湾版『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』”といえるだろう。しかも、家父長制が根強い台湾のホームドラマでもあり、しっかり食卓を囲むシーンも多い。分かりやすいどんでん返しも含め、「アジア映画はウォン・カーウァイ監督作しか観たことない」という人にも、おススメできる一本だ。
彼女たちの生きづらさの正体
舞台は現代の台北。主人公は別れた夫の借金を返済し、人生再出発のため市場で屋台を始めたシングルマザー、高校中退して怪しげなバイトをする長女、そしてまだ幼稚園児の無邪気な次女の3人。大都会の片隅、社会の底辺で暮らす母娘の日常風景を鮮やかに活写した作風は、さながら『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の如し。やがて浮かび上がる彼女たちの「生きづらさ」の正体。それは世間体や家族のしがらみなどの古い保守的な価値観。穢れとされる「左利き」はその象徴だ。そうした呪縛から解放され、ありのままの自分を受け入れたとき、彼女らの人生は前進し始める。社会の過酷な現実を突きつけつつ、同時に穏やかな慈愛に満ちた作品だ。
ベイカーのテイストにアジアならではの要素がプラス
ショーン・ベイカーの映画はいつも、社会の目に見えないところにいる人々を温かい目で見つめる。大学時代に知り合い、20年以上も彼の映画をプロデュースしてきたツォウ・シーチン監督が共通するテイストを持っているのも納得。幼い少女の視点という部分は「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」にもつながる。しかし、彼女が台湾出身とあり、いかにもアジアらしい家族の情景、男女の立ち位置を含む伝統的な価値観が描かれているのが今作の面白さ。最後のサプライズもまさにこの状況だからこそ。
全編iPhoneによる撮影は、ベイカーが「タンジェリン」で初めて行ったもの。今回も自由自在に動き回れるメリットを十分発揮している。
生きる力が鮮やかな色となって輝く
冒頭から、左利きの5歳の少女が覗く万華鏡の極彩色で始まり、台北の夜市に並ぶ小さな飲食店で働くシングルマザーと10代と5歳の娘たちを描く映像の色彩が、全編を通して鮮やかで生々しい生命力に満ちている。
この色彩の生々しさがショーン・ベイカー監督の『タンジェリン』を連想させるのも納得で、本作のツォウ・シンチン監督は、ベイカー監督の『テイクアウト』で共同監督を務め、『タンジェリン』からずっと製作に参加している人物。女性たちが逞しいのはベイカー監督作と共通だが、台北で生きるアジアの女性たちの黒髪は艶やかで、手足は細いが強靭さを秘めている。女性たちのしなやかさと芯の強さが、鮮やかな色彩となって輝く。


























