ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか? (2026):映画短評
ライター7人の平均評価: 4.7
戦争ができる国にしてはいけない
海兵隊員としてベトナム戦争に従軍し、加害者としての経験を講演し続けたアレン・ネルソンの実話。アジア人は人ではないと教え込まれ、ベトコン(蔑称だが多くの人がそう呼んでいた)だけでなく、女性も老人も子供さえ容赦なく殺戮し続ける。人を殺して一人前、死体の耳を削いでアクセサリーにし、親の死体に取りすがって泣く子供の前で笑う。村の女や老人たちを皆殺しにして軒先に並べ、ベトコンを誘う罠にする。帰国して戦争トラウマに苛まれるアレンが、意を決して人々に語り始める。戦争は被害者と加害者を生む、それは誰にも起こり得ると。今の時代だからこそ多くの人が観るべき作品。戦争ができる国にしてはいけない。
今この時代だからこそ、全人類が見るべき戦争映画の傑作
18歳でベトナム戦争へ従軍し、長年に渡って戦争後遺症に苦しんだアフリカ系アメリカ人、アレン・ネルソンの実話。これまでも戦場の地獄を描いた映画は数多あれど、その核心であり本質である「殺し合い」の恐怖と残酷と理不尽と醜悪を、これほど生々しく描いた作品は他に見たことがない。ごく平凡な若者だった主人公が、敵兵だろうが民間人だろうが構わず虫けらのように殺す戦闘マシンと化していく心理過程も、胸が痛むと同時に背筋が凍る。日本人としては、ベトナムで戦うため「アジア人を人間扱いするな」と教育された米兵たちが、沖縄の人々を平然と踏みつけにする場面も辛い。そこにも戦争の本質が表れている。全人類必見の傑作だ。
戦争を“語る”こと、その意味を知るために
『野火』以降の監督作に通じるヘビーなパンチを今回も食らった感。本作はヒューマニズムが生きて感情にダイレクトに訴えかけてくる。
街の物音に敏感に反応する序盤からPTSDのヒリヒリした痛みが伝わり、戦場の回想描写がそこに説得力をあたえる。カメラを真正面から見据える視線も効果的で、戦争の語りべとなった主人公に突き刺さり、緊張感をあおる。
“なぜ人を殺した?”――繰り返される問いは心をどんどんむき出しにしていくが、そんな主人公の心の旅を観る側もたどることになる。何をした? 何を感じた? それを責めず、包み込むことに本作のヒューマニズムがある。
加害者という名の戦争当事者の彷徨
ベトナム戦争に従軍、戦争であるという大義名分のもとに戦闘行為を行った者・ネルソンさん。彼がその後のPTSDに苦しみながら、彷徨していく様を塚本晋也監督が一切の遠慮を省いて描き出した純然たる反戦映画。あの『野火』の放った戦場の異常さ、禍々しさ、生々しさが改めてスクリーンに焼き付けられている。タイトルロールを演じ切ったマーク・マーフィーとロドニー・ヒックスの熱演はお見事の一言。これを受ける立ち位置でなんとオスカー俳優のジェフリー・ラッシュを持ってきたのは実に贅沢。戦争は被害者だけでなく加害者もまた壊してく。
戦争と身体
監督としての塚本晋也は、常に"身体性"を追求し続ける創造者であり、近年の彼のモチーフである"戦争"も、"身体が体験し得るもっとも極限的な状態"という側面を持つのではないか。
この映画で、主人公の身体が戦場で味わったものは、彼の身体がその瞬間に感じた形で視覚化される。その体験は、彼の口から言葉で語られることはなく、観客が自分の身体で体感できるような形で、スクリーンに現れるのだ。物語は、実在の人物に基づき、自分の戦争体験を語り続ける人物を描くが、映画ではその体験が言葉ではないもので描かれるというパラドックス。南方の戦場で、緑は濃く、光は強く、強烈な印象を残す。
鋼の普遍としての“反戦”
圧巻。『野火』以降、いや初期短編や『鉄男』からの塚本晋也フィルモグラフィ全体が結晶した様な感慨。制作規模が拡大しても“高密度のミニマリズム”という核は揺らがず、豊かな映像で「顔」の映画としての硬質な迫力と詩情が際立つ。
沖縄問題も射程に収めつつ、『タクシードライバー』らヴェトナム戦争後遺症映画の系譜を更新する傑作が「日本映画」として撮られた驚き。カウンセリングからPTSDへ潜り、原作=事実を尊重した対話の映画として構造が立ち上がる。女性と子供、男性性と戦争の関係への視座は『ほかげ』の成果を継ぐもの。暴力の根源を見つめてきた塚本だからこそ、灼熱と静謐が交錯する血肉の通った反戦映画が生まれた。
すべてが「戦争さえなかったら」に行き着く、渾身の力作
ここ数作、戦争と人間の関係を突き詰めてきた塚本晋也監督だが、本作の“強度”は極めて高い。ベトナム戦争で現地の人々を虫ケラのごとく殺してしまった若きアメリカ兵。残りの人生を後悔と贖罪、PTSDで奪われつつ、それでも経験を語り継ごうとした彼の決意が、「映画で世界を変えよう」とする監督に憑依した印象。
『野火』と同様に、極限の生々しい描写も入れ込みつつ、たとえば主人公が体験を告白する際に、聞く側の表情でその悲惨さを訴えるなど、間接的な演出もうまく機能している。医師とのカウンセリングにより、戦場での兵士の“論理”を明確にする冷静なアプローチも、逆に人間の本能を炙り出して背筋を凍らせる。反戦映画の見本。




























