HERE 時を越えて (2024):映画短評
ライター6人の平均評価: 3.5
「光陰矢の如し」という言葉を噛みしめる
フィラデルフィアのとある古い一軒家を舞台に、その家で暮らしたさまざまな家族の姿を定点カメラからの映像で描く。中心になっているのが戦後を生きたトム・ハンクス演じるリチャードの家族。家族にとって楽しい時間は短く、辛い時間は長いという実感がそのまま作中の時間に表れている。自分の家族との時間を照らし合わせながら観れば、「光陰矢の如し」という言葉の重みがよくわかるだろう。この世はすべて“ライフ・オブ・サークル”なのだとわかっていても、去っていく家族を思うと涙が出る。それにしても、家族が抱える悩みはアメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンの時代から同じということか(彼らの家は窓から見える)。
いつの時代も変わらぬ家族の愛と絆を映し出す
アメリカ大陸の某所。恐竜が大地を駆け回る太古の昔から21世紀の現代まで、異なる時代の異なる景色が代わる代わるスクリーンに映し出され、そこに暮らす名もなき人々のささやかな暮らしを見つめていく。特筆すべきは定点カメラのように映像の視点が固定されていること。さらに、時間軸を自由自在に行き来することで、時代によって変わる社会の有様や人間の生活様式、いつの時代も変わらぬ家族の愛情と絆が浮かび上がる。様々な家族の様々なエピソードを詰め込み過ぎて散漫気味になったことは否めないものの、しかし技術的にハイレベルで実験性の高い映像は見応えあり。御年72歳になる巨匠の若々しい感性とチャレンジ精神に感服する。
万博パビリオン級の「観る人類史」
『フォレスト・ガンプ/一期一会』のスタッフ&キャスト再集結だけに、とある場所の定点観察という、ワン・アイデアのネタ映画では終わるはずがない! 『ポーラー・エクスプレス』で、いち早く3DGアニメに挑戦したロバート・ゼメキス監督らしい意欲作であり、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の脚本家エリック・ロスによる家族ドラマを軸に、トム・ハンクスが主人公を好演。今回は「観るアメリカ史」どころか「観る人類史」であり、万博のパビリオン級の情報量に圧倒。箱庭感覚だけに、観る人によっては苦痛に思えてしまうかもしれないが、このチームならではのハートウォーミングさに、★おまけ。
人生とはなんと短いのかをあらためて再認識
地球の歴史の中では人間の一生なんて本当に短いものなのだという、命のサイクルを再認識。太古の昔からひとつの場所を見ていくものの、トム・ハンクス演じるリチャードの家族に焦点を当てつつ20世紀と21世紀のアメリカを描いていくところは「フォレスト・ガンプ」にも通じ、このチームが再結集したのも納得。ただ、時代が行ったり来たりするのを、混乱する、あるいは気が散ると感じる観客もいるかも。常に新たなテクノロジーを取り入れてきたゼメキスは、今作で、ポスプロではなく撮影中にハンクスらをデジタルで若返りさせている。結果は自然で、ハンクスはまさに「ビッグ」の時のようだが、それだけに不安と、少しの疑問も感じる。
時代と人生の定点観測
恐竜の時代から現代までの定点観測を、一本の映画にするアイデアが面白い。
人間ドラマが主に展開するのは20世紀以降で、トム・ハンクスふんする男の半生をメインにして、時代を錯綜しながらそこで生きる人々の人生を描く。カメラ位置が変わらないので、観客はある意味、観察者。その人間模様に共感する度に、幽体離脱して自分の人生を見ているような気分になる。
ゼメキス監督をはじめとする『フォレスト・ガンプ』チームの再結集はもちろん注目点だが、それを抜きにしてもこの映像体験は興味深いものがある。カメラレンズのマジックやデジタルメイクの自然さなどの、ゼメキス作品らしい革新的な映像マジックも見どころ。
一つの場所を見続けるという稀有な体験
もしも「一つの部屋」という場所を、恐竜の時代から、先住民が暮らしていた時代、そして現代に至るまで、長時間にわたってずっと定点観測し続けたとしたら、その体験はどんなことを感じさせてくれるだろうか。
そうした現実では不可能な体験を、やはり長い時間の流れを描いた『フォレスト・ガンプ/一期一会』の監督と主演2人が可能にしてくれるのが本作。一箇所に固定されたカメラアングルで、ひとつの場所を映し出し続ける映像を見ていると、コンセプトを理解することと、実際に体験することは、同じではないと痛感させられる。この視点に立つと何が見えてくるのか。後半、時間の在り方が変化していくという演出も興味深い。

























