私たちが光と想うすべて (2024):映画短評
ライター4人の平均評価: 4
「光」について、その可能性の考察
新鋭パヤル・カパーリヤー監督が映し出すムンバイの都市空間は、かつて王家衛が捉えた香港なども彷彿とさせる。地域ごとの多言語国家であるインドに生きる三人の女性の物語は、カースト制や経済格差、労働、宗教、ジェンダーギャップといった主題の現在的な表象。後半部は同じマハーラーシュトラ州の海辺の村ラトナギリへと場所を移し、寓話性を伴った瞑想的な旅の様相を深めていく。
本作が備える政治性については、カパーリヤーの2021年の傑作『何も知らない夜』が最適のサブテキストとなる。学生運動を題材としたこちらは、ラブストーリーとして撮られた“抵抗の詩”としてのドキュメンタリー。新作とは静と動のような表裏の関係だ。
カンヌのグランプリ受賞も納得の味わい深い秀作
階級差別や男尊女卑などの古い因習が根強く残るインド、目覚ましい発展を遂げる大都会ムンバイ。その片隅に生きる貧しい女性たちの友情を通して、個人の力ではどうしようもないハンデを課せられた人々の過酷な現実が描かれる。監督のパヤル・カパーリヤーはドキュメンタリー出身。女性ゆえ庶民ゆえ宗教ゆえの様々な制約によって自分らしく生きることが許されず、ままならぬ人生に悩み迷う女性たちの日常を淡々と映し出す。ドラマチックな事件など何も起きない。日々小さな壁にぶち当たっていく中で、彼女たちの心に芽生えていくささやかな心境の変化。そこに未来への希望が託され、見る者の心に強い共感が沸き上がる。実に味わい深い映画だ。
大勢が行き交う街で感じる孤独と葛藤
ドキュメンタリーで長編監督デビューしたパヤル・カーパリヤーは、生まれ育ったムンバイという街を、内側から、そして外側から、静かに、詩的に見つめていく。愛し合ってもいない夫と遠く離れて暮らす主人公。許されない恋愛をするルームメイト。長く住んだ場所を追い出されようとしている職場の女性。古さとモダンさの混在と葛藤、大勢が行き交う都会にいながら孤独を感じる矛盾。ここで描かれるのは、この街の女性が置かれた今。明確なストーリーがあるわけではなく、とくに前半は展開がスローだと感じるかもしれないが、舞台を移す終盤はビジュアルもムードも一転。最後は希望を感じさせる。これからが楽しみな女性監督。
大都会の夜、浜辺の村の昼、どちらも美しい
大都会ムンバイの賑やかな電飾溢れる夜。その対極にある、海辺の小さな村の誰もいない昼の浜辺。そして、昼と夜ではまったく別の表情を見せる海。それを映し出す映像がどれもそれぞれに美しく、ヒロインが黙ってその光景に見入っているとき、こちらも一緒にその情景に魅了されながら、彼女が想っていることを共有することになる。彼女の見た夢とも秘めた想いとも判別つかないものが、寄せては返す海の波と混じり合う。
ムンバイで働く世代も境遇も価値観も異なる女性2人が、友人が故郷の村に帰る旅に同行して、自分について、相手について、小さな発見をする。それが静かな筆致で描かれる。最後の光景が夢のように美しい。






















