スーパーガール (2026):映画短評
ライター3人の平均評価: 4.3
やさぐれた宇宙少女がヒーローとして覚醒するまで
銀河系を飲み歩きながら荒れた生活を送るスーパーガールが、たとえ無力でも強い信念で正義を貫かんとする少女ルーシーに刺激され、愛犬クリプトを救うべく宇宙のならず者を相手に大暴れする。我らのスーパーガールがヒーローとして覚醒するまでの物語を、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』的なスペース・オペラとして仕上げた作品。あえて歴代スーパーガールの優等生的イメージを踏襲せず、過去のトラウマからやさぐれてしまったシニカルなアンチヒーローとした点で賛否あるだろうが、しかし現代女性が惚れるようなヒロインとしては十分にアリ。誇り高き少女ルーシーの存在も含め、女の子の強さも弱さも肯定する懐の深さが魅力だ。
スーパーガールがカッコいい
スーパーガール/カーラ・ゾー=エルの人物像で魅了する。演じるミリー・アルコックはまさに適役。ジェームズ・ガン率いるDCスタジオ版のスーパーガール像を高らかに宣言しつつ、スーパーマンとの差異も明言。作中で、なぜスーパーウーマンではなくスーパーガールなのかと問われて、カーラは返答に窮するが、映画はその答を描く。
素のカーラの暴れん坊ぶりもいいが、スーパーガールになってからの力強い表情と姿勢は、さらに別格。うわ、カッコいい、と思ってしまう瞬間が何度もある。リチャード・ドナー版への敬愛に加え、怒涛の格闘中のスローモーション演出には、さりげなくザック・スナイダー版への敬意も忍ばせてある。
スーパーガールの自由度をフルに生かした冒険活劇
ユニバース1作目の『スーパーマン』は、やはり求められるモノ、背負っているモノを描かないわけにはいけなかったのですが、それに対して”スーパーガール”はキャラクター描写の振り幅を広く取ることが可能です。本作はその自由度が良い方に作用したと言っていいでしょう。108分というタイトな上映時間からして、余計なことは描かないぞ!という思いが伝わってきますが、予想通りシンプルで痛快なヒーローアクションとなっていました。大役を任されたミリー・オールコックですが十二分に務めを果たしたと言えるでしょう。そしてロボ役のジェイソン・モモア、流石の一言です。




















