秋が来るとき (2024):映画短評
秋が来るとき (2024)
ライター6人の平均評価: 3.8
人智では計り知れないことがミステリー
フランソワ・オゾン監督の映画は、日本のとりわけ老齢の女優たち(あえてこの言葉を使う!)にとって羨望の対象だろう。物語の中心に、山あり谷あり歩んできた歳月を確かに感じさせるキャラクターが登場するからだ。本作では(どちらかと言えば助演の多かった)エレーヌ・ヴァンサンが、「人生の四季とその“ままならない”巡り合わせ」を具現する。
パリから片田舎へ、自然豊かなブルゴーニュ地方にて隠居を決めた主人公、彼女が軸となり、様々な年齢層の人物が有機的に絡まって、そこにミステリー成分も少し。が、謎解きなどではない。静寂な森の中にも毒キノコは潜んでいる。幽霊だって出る。人智では計り知れないことがミステリーなのだ。
善悪では割り切れない人生の真理を描く秀作
豊かな自然に囲まれた風光明媚なフランスの片田舎、ご近所に暮らす仲良しの高齢女性コンビ。とある出来事をきっかけに、一見したところ平凡な優しいお婆ちゃんである彼女たちの、他人には言えない過去の秘密が明らかとなっていく。人生まさしく山あり谷あり。綺麗ごとばかりでは済まされない。食っていくために後ろめたいことをしたり、良かれと思ってしたことが裏目に出たりすることもあるだろう。果たして、それは許されざるほどの罪なのだろうか?美しい表層の裏に隠された人間の生臭さ、善悪では割り切れない人生の真理。中盤からの犯罪サスペンス的な展開を含め、円熟味を増したフランソワ・オゾン監督の「らしさ」が詰まった秀作だ。
その笑顔、あるいは争いの奥にあるもの
はっきり白とも黒とも言えない、グレーな部分をたっぷりと見せる。褒められないことをした人は絶対的に悪なのか。生き延びていくためには、そして愛する人を守るためには、時に正しくないことをしてしまうのも人間なのでは。登場人物の過去をゆっくりと解き明かしつつ、予想しなかった方向へ進めていくこの美しい人間ドラマは、そんなことを考えさせる。子供の頃、キノコ料理を食べて叔母ひとり以外全員が食中毒になった思い出が発端だったというが、そこからこんな深い話を作っていったのは、さすがオゾン。エレーヌ・ヴァンサンをはじめとするアンサンブルキャストの演技は、控えめながら、その奥にあるものを静かに感じさせる。
キノコ以外の「毒」も健在!
都会の喧騒を離れたブルゴーニュ地方を舞台に、悲喜交交を描いた終活映画……と見せかけて、そこはフランソワ・オゾン監督作。60歳を目前に、妙に円熟味を増そうが、劇中で狩られるキノコ以外の「毒」もたっぷり盛り込まれ、過去を抱えた母とその娘の確執を描いた、単なるいい話で終わらない。中盤からは先の読めないミステリー仕立てとなり、冒頭に教会で語られるマグダラのマリアの説教が後々活きてくる面白さもアリ。約20年ぶりのオゾン組参加となったリュディヴィーヌ・サニエがキーパーソンとなる孫(名前は聖人と同じルカ!)の母親役というところに時代を感じつつ、人生について考えさせられる。
秋のブルゴーニュの森をゆっくり歩く
樹木が鮮やかに紅葉した秋の森を、枯れ葉を踏み締め、空気を胸に吸い込みながらゆっくり歩く。キノコを採りに行く、というのは口実で、秋の森を歩く心地よさが味わえればいい。フランソワ・オゾン監督自身が幼少時によく訪れたという、秋のブルゴーニュの森で撮影された情景が、そこを歩く80歳のヒロインのそんな気持ちを伝えてきて心地よい。深まる秋は、人生の秋でもある。
パリでの生活を引退して田舎で暮らす老女と、その孫息子、老女と同世代の女ともだちと、その息子。実は全員が秘密を持ち、時には嘘をつき、そのようにして穏やかな暮らしを続けていく。彼らの想いが秋の森をゆっくり進む足取りと重なって、豊かな余韻を残す。
覆される「穏やかな老後」のイメージ
最初は“安心の良作感”が香り立つ。仏ブルゴーニュ地方の美しい風景の中、穏やかに姿を見せる80歳の老婦人(H・ヴァンサン)……。ところが徐々に底流していた奇妙な不穏さが鋭利さを増し、独特の人間&家族劇に変形していく。F・オゾン監督はいまやフランス映画のど真ん中に立つ名匠だが、元々一筋縄ではいかない毒と棘を備えた曲者のシネアストである。
今回オゾンはジョルジュ・シムノンの作風を例に挙げているが、“ミステリー風”の取り扱いの見事さは彼の本来的な卓越だ。『焼け石に水』から『スイミング・プール』まで初期オゾン組の常連だったL・サニエ演じる、主人公との確執を抱えた娘の痛みが物語の通奏低音と言えるだろう。