廃用身 (2026):映画短評
ライター5人の平均評価: 4.2
「副作用」が多義的に広がる問題作
PFFアワード2008の受賞作『症例X』の前に、久坂部羊の原作との出会いがあった――。吉田光希監督の大胆な飛躍と新境地が認められる本作が、実は“原点回帰”でもあるのが興味深い。染谷将太(名演!)扮する外科医・漆原院長の人物像をどう見るかがポイントで、善意のつもりが無自覚のサイコパス属性から様々な問題が生じていく展開。鋭利な“問いの映画”になり得ている。
志田貴之のカメラワークが秀逸。ズームやトラックインが不思議な空間性を醸成し、美術や音響の充実も大きい。参照先には『聖なる鹿殺し』があったようだが、人体への視座において吉田&志田がスタッフ参加した塚本晋也『ヴィタール』からの影響も無視できない。
当事者にとって、この前提ロジックは到底受け入れられぬ
現在も脳梗塞の後遺症を抱え、入院時に「廃用身」に近い言葉をぶつけられた当事者にとっては、なかなか客観的に観るのが難しい。しかも退院後に痙性コントロール手術を受け、つまり筋肉の腱の一部に切込みを入れただけで麻痺側へと及ぶその不安定な影響を日々被っているので、本作のAケア「切断→痛みや痙縮からの解放」という前提ロジックは到底受け入れられぬ。
身体の四肢は別々に分かれているのではなく、当然相互に繋がっていて連関しているのだ。が、個人差があり、この体験記も絶対ではない。それくらい繊細な事柄なのである。Aケアを考案、実践する院長(染谷将太)の「策士、策に溺れる」的な展開には思わず笑ってしまった。
高齢化社会の今を、生々しい恐怖とともに描き切る
高齢化が進む一方の日本で、作られるべくして作られたサスペンス。認知症、老い、医療、介護、メディアなどなど、そこで起こる社会の閉塞が見えてくる。
とにかく染谷将太の存在感が強烈。医療や介護に革新をもたらすアイデアを追求した救世主のようで、非人道的な医師のようでもある。冷たい炎を秘めた、そのまなざしが本作を動かしていく。
麻痺した腕や脚(=廃用身)を切断することで、患者は痛みから解放され、介護者は負担が軽減されるという発想は斬新だが、同時に恐ろしくもある。いずれにしても、いつ患者に、または介護者になってもおかしくない今の日本に突き付けられた刃のような作品。必見。
介護現場の諸問題を浮き彫りにする衝撃の医療サスペンス
廃用身とは脳梗塞などの麻痺で、回復の見込みがない手足のこと。それを思い切って切断してしまえば、本人は身も心も軽くなってスッキリするだろうし、周囲の家族や介護士の負担軽減にもつながるのではないか。デイケア・クリニックの院長が考案したこの画期的な治療法は、はじめのうちこそ効果を上げているように見えたが、やがて思いがけない不測の事態を招いていく。倫理観のバグった善意のマッド・サイエンティストが巻き起こすサイコロジカルな医療サスペンス…の体裁を取りつつ、日本の終末医療や高齢者介護の現場における諸問題を浮き彫りにした作品。何事にもコスパや合理性が求められる昨今の風潮に対する違和感も垣間見える。
画で見ることの衝撃
久しぶりに、映像と言うか画で見せられて衝撃を受けた一本が登場しました。麻痺等々で負担になった四肢を切断するという”身体のリストラ”、”治さない医学”と言う言葉は文字面だけでも十分強烈ですが、それを画で見せられるとちょっと言葉に詰まるような感覚に襲われます。私自身も軽度の麻痺を抱えている人間として、とても複雑な気持ちになりました。スタッフ、キャストと共にこの映画化企画に対して本当によく手を挙げたものだと素直に感心し、尊敬の念が出てきます。”こんな思想・医療は絶対にありえない”と言い切れない複雑な心の部分を鋭く抉られました。


























