嵐が丘 (2026):映画短評
ライター5人の平均評価: 3.6
ひたすら圧倒される「もうひとつのバージョン」
昼ドラ「愛の嵐」など、日本でもおなじみの愛憎劇の原作だが、ゴシックホラーにも近いエメラルド・フェネル監督による大胆な演出は、どこか吉田喜重監督版(1988年)にも近い。ヤバ女と化すイザベラも凄まじいが、いちばん興味深いのは、原作では語り部だった家政婦ネリーをベトナム系のホン・チャウが演じたこと。しかも、『ザ・ホエール』で献身的な看護師を演じた彼女が物語を引っ掻き回す悪役的存在に。そういう意味で、監督自ら「もうひとつのバージョン」と断言しているのも納得で、ビスタビジョンで捉えた映像美と、ケイト・ブッシュにも戦いを挑んだチャーリー・XCXによるサウンドにひたすら圧倒される。
愛の一途さに溺れ、文芸の香りと監督の挑発がせめぎ合う
文芸的香り、一途なラブストーリーと、ここ数年減少中ジャンルにあって本作は貴重な輝きを放つ。あちこちで監督らしい大胆かつチャレンジングな描写は発見でき、秘めやかな欲情の激しい発露や死を巡る扇情的なビジュアル設計に加え、ナメクジのアップが、人の手で小麦粉をこねるシーンにシフトしたり、生卵による愛情回帰など、要所で生々しい&艶かしい映像刺激が届けられる。一方でヒースクリフ旅立ちのあまりに美しい夕景など脳裏にやきつく映像も多数。
原作との違いは納得しつつ、ストーリーの“押し”が弱いので作品テーマがもたらすインパクトは控え目か。主演2人も激的なキャラのわりにカリスマ性は薄い。そこが観やすいとも言えるが。
モダンでクラシカルで幻想的なゴシック風の映像美が魅力
エミリー・ブロンテによる19世紀ゴシック・ロマンス文学の傑作「嵐が丘」の映画化だが、かなりの部分を削ぎ落としたうえで換骨奪胎されている。この大胆な脚色には恐らく賛否あることだろう。焦点となるのは、キャサリンにヒースクリフというどちらも強烈な自我を持った誇り高き男女による、もはや誰にも止められない破滅的で激しすぎる愛の物語。彼らに嫉妬し、魅了され、巻き込まれていく周囲の人々も含め、人間の業と情欲の底知れなさにゾッとする。マリオ・バーヴァとギレルモ・デル・トロとソフィア・コッポラを足して割ったような、モダンでありながらもクラシカルで幻想的なゴシック風の映像美も大きな魅力だ。
危険で妖艶。フェンネルらしい大胆な解釈
喘ぎ声で始まる冒頭から「これまでと違う」と感じさせる。セックスと死が前面に押し出された完全にフェネルのバージョン。原作の後半をすっぱりと削除し(ただし1939年版もそこは同様。1992年版は最後まで語る)、重要な登場人物ヒンドリーも父のキャラクターと統合して、ひたすらキャシーとヒースクリフの熱愛に絞り込む。そしてその「愛」は過去作で見たプラトニックな純愛ではなく、危険さと妖艶さがたっぷりなのだ。ダークな話にユーモアを加えるのは、「Saltburn」でもフェンネルと組んだアリソン・オリヴァーが演じるイザベラ。「原作に忠実」を求める人には不満だろうが、現代の感覚だとむしろ納得かもと思った。
この取捨選択は有りか?無しか?
マーゴット・ロビーがプロデュサーまで兼任しているというかなり前のめりな感覚が伝わってくる一本。相応に知られた原作をエメラルド・フェネルがどうやって裁くのかと思ったら、かなり取捨選択して”一瞬、燃え上がった恋愛”の部分を強調した物語になりました。個人的に原作は”怪談”に近いイメージがあったので、こういうアレンジにはちょっと戸惑いを感じる部分もあります。原作を知っている人が見ると賛否が大きく分かれるのではないかと思います。ヒースクリフ役にジェイコブ・エロルディを選んだのは慧眼と言っていいでしょう。良いタイミングで捕まえましたね。























