サブスタンス (2024):映画短評
ライター10人の平均評価: 4.6
クリーチャー化する女性スターの悲劇と屈折した多幸感
焦燥と欲望のスパイラルの果てに“禁断の実”に手を出して(細胞と人格のダブルで!)自己分裂し、挙げ句、クリーチャー化してしまう中年女性スターの悲劇と、屈折した多幸感。映画の問題意識が向かう矛先は「悪しき男性中心社会」だが、刷り込みの歴史の中ですでにして本能レヴェルにまで根付いた価値観に抑圧される、“女性の美意識”そのものをも射程にしている。
実は男にもめちゃくちゃ響く、このヴィヴィッドな現代的な寓話に心身捧げたデミ・ムーア(とマーガレット・クアリー)が最高だ。そして、ジャンル映画のスタイルで存分に羽を伸ばし、個人的な思いもしっかり織り込んでみせた監督・脚本コラリー・ファルジャは、実に頼もしい。
フェミニズム・エクスプロイテーション映画?
なんだか底意地の悪さを感じてしまった。コラリー・ファルジャ監督は「幼い頃から女性として経験してきたさまざまな出来事を集約して生まれた作品」と語っているが、結局は女性同士(もともとは一人なのだが)の戦いになってしまっている。なにより、男性の視線から生まれるルッキズムとエイジズムに支配された主人公に思慮がなさすぎるのではないか。男社会への怒りは見えるが、「女って愚かだねぇ」と男が高みの見物を決め込むことができる作りになっている。終盤の展開は帳尻合わせに見えた。意図よりも表現を優先した結果なのかもしれない。だとしたら、これはフェミニズム・エクスプロイテーション映画なのではないか。
ルッキズムという暴力がモンスターを生んだ!
第一印象はクローネンバーグ作品に匹敵する、とにかく強烈なボディホラー。振り返ると、そこに現代女性の社会的な苦悶が見えてくる。
パーフェクトな外見を保たなければいけないという、ヒロインの執心が病的かつ狂気的になっていくサイコな展開。彼女がそうなった原因にはセレブ的保身だけではなく、周囲に求められるからということも。そこにルッキズムという世の歪みが見えてくる。
前作『リベンジ』でも台詞より映像重視だったファルジャ監督だが、本作ではときにキューブリックやリンチ風の映像を放ち、その異様な美にハッとさせられる。言わずもがなの大熱演のデミにはオスカーを獲らせてあげたかった。
想像の斜め上を暴走する“デミ・ムーア版『永遠に美しく…』”
観客を挑発し続ける編集など、『レクイエム・フォー・ドリーム』におけるエレン・バースティン出演パートをブローアップしたともいえる“デミ・ムーア版『永遠に美しく…』”。「パーマン」のコピーロボット暴走を想起させるSF(すこし・ふしぎ)設定も入り込みやすいうえ、『サンセット大通り』『シャイニング』などのオマージュも分かりやすい。また、新旧女優2人の体当たりすぎる芝居は素晴らしく、デニス・クエイドがとにかくキモい。想像の斜め上を行く終盤の展開も含め、“見世物”としても、風刺たっぷりのブラックコメディとしても見事に成立。2025年日本公開作のベスト候補間違いなしの142分だ!
ルッキズムとエイジズムの呪いをボディホラーへ昇華した怪作
中年になって仕事のなくなったハリウッドの元大物女優が、切羽詰まって怪しげな最先端再生医療に手を出してしまう。女は若くて美しくてスリムじゃないと価値がない。男社会から押し付けられ刷り込まれた、ルッキズムやエイジズムの呪いに精神を蝕まれていく女優の狂気を、デヴィッド・クローネンバーグも真っ青のボディホラーとして描いた怪作にして傑作。「女の敵は女」も結局のところ男社会(というかオッサン社会)がそう仕向けているに過ぎない。この鋭い視点も女性監督だからこそ。ブラックな風刺ユーモアを基調としているのも良し。とはいえ、かなりエグい描写が多いのでグロが苦手な人は要注意である。
デミ・ムーア会心の一本!!
今でもアカデミー賞を獲るべきだった思い続けているデミ・ムーアの会心の一本。基本的にはホラーなのですが、デミ・ムーアがデミ・ムーアとして通ってきた道筋を感じさせる映画となっています。美と若さに取り憑かれる様は異様でありながらも、どこか共感を産む設定と言えるでしょう。そして、もう一人の功労者と言えるのがマーガレット・クアリー。ある種の”理想像”を体現しなくてはいけないという難役を見事に演じ切りました。監督のコラリー・ファルジャはこれがまだ長編二本目。これから何をしてくるか楽しみで仕方がありません。
映画史上最高のラストシーンのひとつ
“美とはこうだ”という社会の基準は、男性の目線で作られたもの。女性もそれに従い、そこにはまらないと悩み、無理なダイエットや美容整形で自分を痛めつける。この映画は、そんなリアルを辛辣に語る風刺劇。エリザベスが若いスーになったとたん対応が手のひら返しに️なる男たちの描き方など、ダークな笑いもたっぷり。後半は本格的なホラーになるので苦手と感じる人もいるかもしれないが、ラストまでちゃんと見てほしい。最も心に残るそのビジュアルには、この映画のメッセージが集約されているのだ。エリザベス役を断った女優もいたそうだが(その気持ちもわかる)、ふたつ返事で引き受けた上、文字通り体当たり演技をしたデミに心から拍手。
度を超えて強く激しい
強度の映画。視覚的インパクトだけでなく、音響も、画面上に出現する文字の書体やサイズも、強くてデカくて激しい。身体の変形表現の激しさも、予想範囲を超えてくる。物語も、ビジュアルも、ここで終わりかと思ったところの、先の先の先まで行く。監督・脚本のコラリー・ファルジャは、そこまで大声と大文字で主張せずにはいられない。その強さと激しさに、この映画の核心があるのではないか。
現代社会で身体というものが周囲にどのように見られ扱われているのかを、ブラックコメディの形で風刺しつつ、実は見られる側の個人が、そうした固定観念に加担しているということも突きつけてくる。
人間という“自然”からの壮絶な反撃
監督と共闘する形で、各々の“女性の監獄”をぶち破る体当たりの快演/怪演を見せた『ベイビーガール』のN・キッドマンと本作のD・ムーアは双璧だ。また前者の先行例がヴァーホーヴェンだとしたら、本作の主な参照先は『TITANE』と同じくクローネンバーグ。ボディホラーの造形法で若さと美貌への過剰な執着という病理を扱いグロテスクな可視化を極めた。
旧来の定型的な美の領域ではいまAIが人間の仕事を侵略しつつある。本作は生身の俳優が捨て身で行った人間性の抵抗の歌でもある。物語の原型は『ドリアン・グレイの肖像』だろうが、エイジングを業界に問う主人公エリザベスは『サンセット大通り』のノーマの現在形とも言えよう。
若さと美の追求→キワモノ的狂気の快感に溺れ完全に理性を失う
間違いなく2024年の「最怪作」。人気スターながら年齢と共にキャリアが危うくなる主人公のリアルを、完璧な演出で見せたオープニングから完全没入。主人公が若さを取り戻すために試す「処方」の怪しさ、美術を含めた映像全体のスタイリッシュさ&エグさ、音楽のノリの良さ、すべてが一体化し、不思議の迷宮に入り込んでいくのは『ブラック・スワン』に近いかも。
何となく察しがつく後半も、デミ・ムーアのリミッター外した怪演とともに、予想をはるかに上回るトンデモ展開に唖然&呆然。
若さと美への執着の哀しさがわかりやすく貫かれているので、ホラーながらテーマが心の奥底に突き刺さってきて怖い! そして面白い! これこそ映画!





























